オンラインで繋がる日本語教師のものがたり
―ニフティサーブからZoomまで―
冒険家 村上吉文
トガル読者のみなさん、今日もラクダに揺られて灼熱の砂漠を横断していますか?
今日は、編集委員の方から、どうして元気に情報発信を続けていられるのか教えてほしいと言われましたので、この件について簡単に書いてみたいと思います。
基本的な理由は、情報発信しないと他の人と繋がることができないからです。では、どうして他の人とつながることが大事なのかというと、僕の日本語教師としてのキャリアの最初の頃の体験があります。
僕は大学を出て国内の普通の日本語学校で一年ほど日本語を教えた後、すぐに青年海外協力隊の隊員としてモンゴルに渡りました。しかし、日本の国内では成人が対象だったのに対し、モンゴルで派遣された機関は小学生と中学生が学ぶ学校だったのです。ご存じの方も多いとは思いますが、年少者教育は成人教育とはかなり違う、ほとんど別の仕事なのですが、それについて全く準備ができていないまま、僕はそこで仕事をすることになってしまったのです。
当時はまだインターネットも普及しておらず、モンゴル国内には僕の他に初等教育機関に派遣されていた協力隊員もいませんでした。文字通りゼロからの試行錯誤でオリジナルの教材なども作りながら孤軍奮闘してきたのですが、日本に帰国してみると僕が工夫して作った教材よりずっと質の高いものが市販されていて、本当にがっかりしました。
ここから学んだことは、世の中のほとんどの問題は既に解決策が示されていて、それを真似するだけではるかにレベルの高い仕事ができるし、逆に、真似しないとはるかにレベルの低い所で戦わざるを得ないということです。
さて、モンゴルから日本に帰国したのは1995年の夏で、ちょうどインターネットブームの前夜にあたり、「パソコン通信」が流行していた時代でした。まだパソコンブームの火付け役になったWindows 95が発売される前で、Windows 3.1という今から見ればかなり旧式のOSを使って、ニフティサーブというパソコン通信にアクセスしていました。音声通話用の電話回線を使っていたので、基本的には文字しか送れず、コンテンツをダウンロードしながら目で全部読むことができるぐらいのスピードでした。
そして、このニフティサーブに「日本語フォーラム」というグループがあって、その中に日本語教師の集まる部屋が二つあったのです。そこには日本国内はもちろん中国やスリランカ、イギリスなどの多くの国から日本語教師の皆さんが集まっていて、問題を共有したりその解決方法を提案したり、とても有意義な意見交換がされていました。
モンゴルの後は僕はサウジアラビアに国際交流基金の専門家として派遣されたのですが、ここでも当初はアラビア半島でネイティブ日本語教師は僕一人しかいなかったので、このニフティサーブの日本語フォーラムのみなさんは本当に命綱そのものでした。
この日本語フォーラムでは日本語教育そのものに関しても非常に助けていただいたのですが、それ以上に「オンラインでは発信することによってより多くを学ぶことができる」ということを知ったのが今の僕の発信の原点にあるのではないかと思っています。
というのも、普段何も発信していない人がいきなり質問をしても、どのレベルの回答が期待されているのかが分からなかったりしますよね。日本語教育の現場を1年か2年でも経験してみたら誰でも分かるような回答でいいのか、それともその辺りは常識として知っていてそれでも解決できないから質問を重ねているのか、そうした背景が分からない人には善意がある人でもなかなか時間を割いて解答することができなかったりします。
また質問ではなくても、以前僕が提供した情報に対してその後のアップデートを別の人が教えてくれたりすることもあります。また僕と似たような環境の人を紹介してくれたりすることもありました。
その後、インターネットの時代が到来しても、実はまだしばらくは文字のやりとりが中心で、日本語教師の繋がりはそれほど大きな変化があったわけではありませんでした。大きな転機が訪れたのはやはり2006年のWeb 2.0の時代です。特に YouTube によって録画が簡単に共有されるようになったことは、その後、日本語教師同士を繋げようとするようになった僕のライフワークにとっても大きな変化でした。
それまでは文字からしかその人となりを伺うことはできなかったのですが、僕が出張などでその地域の教育機関を訪れて、そこでその先生にインタビューを録画し、それを他の地域の皆さんにも共有することで、その先生の顔や表情や声などがリアルに皆さんに伝わるようになったのです。
それがさらに顕著になったのが Google ハングアウトの登場でした。これはすでに普及していた Skype と同じようなテレビ会議システムだったのですが、大きな違いはそれを録画して外部に共有することができたという点でした。
当時僕はエジプトに派遣されていて、モロッコからイランまで7000 km 以上にもわたる地域のネットワーク育成にあたっていたのですが、このGoogle ハングアウトを利用することによって、中東のそれぞれの国の先生方にオンラインでインタビューし、その録画を中東の他の国の皆さんに共有することができるようになったのです。普段はオンラインでやりとりしているみなさんと年に1度カイロでお会いする時は、それまでと違って「オフ会」というような雰囲気になってきたのがとても印象的でした。
しかし Google ハングアウトにはライブで参加できるのが10人までという大きな制約がありました。従ってそれ以上の人が集まってお互いに意見交換するような大規模なイベントを行うことはまだ技術的には難しかったのです。
そしてこの Google ハングアウトと 前後して登場したのが Ustream でした。これはテレビのように何万人という人を対象に動画でライブ中継をすることができるツールで、これで日本語教育関係のセミナーなどや日本語学習者によるスピーチコンテストなどのイベントをLIVE 中継して視聴者からライブでコメントなどをもらうこともできたのです。
僕が初めて関わったイベントのライブ中継は、アンカラでの日本語弁論大会だったのですが、これには数千を超える視聴者が集まり、応援や感想などの多くのコメントもライブで投稿してもらうことができました。これまで細々と続けてきた日本語教育関係のネットワーク育成が、このアンカラからのライブ中継を転機として大きく時代が変わったことを痛感しました。
そしてそこにやってきたのが皆さんもご存じのZoomです。Zoomではリアルタイムで皆さんの顔や声や表情などが共有できる上に、無料でも100人までが同時に参加することができたのです。この新しいテクノロジーによって、日本語教育の世界はそれまでの研修やセミナーなどがほぼオンラインでもできるようになりました。さらにこれまでと違って画期的だったのはブレイクアウトというさらに小さな部屋に分かれて話し合いができるようになったことでした。
ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、このツールを利用して僕は今、毎週金曜日の夜に日本語教師のみなさんが集まるオンラインイベント「#zoomでハナキン」を行なっています。ブレイクアウトルームを40室開いてそれぞれ固有のトピックを設け、皆さんのお好きなトピックの部屋で話し合いができるようになっています。ここは「日本語教師のサードプレイス」として、多くの同業者の方に自宅でも職場でもない第三の居場所になっています。
さて、ここまで大雑把に僕の物語を語ってきましたが、もちろん物語はここでは終わりません。これからも世界はどんどん変わっていくでしょう。もう metaverse の時代に僕たちは足を一歩踏み入れています。今後は画面の向こう側にいる人ではなく、同じVR空間の中にいる人達と距離を超えて共同活動ができるようになっているでしょう。
今後も、この惑星の上の日本語教師のネットワークづくりをめざして、みなさんと一緒に冒険を繰り広げていきたいと思っています。
そして冒険は続く。