教師物語
風立ちぬ いざ旅立ちのとき
少し迷ったが,せっかくのご依頼だし,好きなことを書いていいと言われたので,思いっきりトガルことにする。今から書くことに対して,人によっては,いろいろ異論があったり腹が立ったり許せなかったりすることもあると思うが,落ち着いて冷静になって少し客観的に考えてみてほしい。
「日本語教育」ってそんなに専門的なことですか?
「日本語教育」ってそんなに特別なことですか?
「日本語教育」って誰にでもできることじゃないですか?
みんなそのあたりのことはなんとなくわかっていて,だけどそこは大人だから自分からは口には出さず,自分たちの存在意義を演出するために,専門領域という狭い世界の中で専門家やプロフェッショナルぶっているだけじゃないかと意地悪く思ったりもする。言語教育の世界は,日本語教育に限らず,どんな言語の場合でも似たり寄ったりかもしれないが。
すでにここまで読んで怒っている人がいると思うけど,その人も本当は自分でよくわかっていて,でもそれを認めると自分のアイデンティティが揺らぐから認めたくなくて,なのにそこを他人から(それも名嶋から)ズバッと言われて怒っているんじゃないかと想像する。気持ちはよくわかるけど,自分でそう思っているならそれを認めて,そこから新しい方向を探した方がいいと思う。
私は今,自分が徐々に「日本語教育」から離れつつあることに気づいている。だからこういうことを書くのである。過去に2回,「日本語教育」から離れていった時期があるので,その時の経験知から自分と「日本語教育」との距離感がわかる。そういう気持ちになるのはこれが3回目である。回を重ねるごとに「日本語教育」との距離が遠くなってきたので,この第3波(ここは,新型コロナ言説の再文脈化)で私は結構遠いところにいくかもしれない。もしかすると,もう「日本語教育」の世界には戻ってこないかもしれない。その意味でこの原稿は,私の「日本語教育」への絶縁状のようなものになる可能性もある。そんな予感がする。そう思って読んでもらえれば多少は「日本語教育」界の皆さんの怒りも収まるかもしれない。
まずは過去2回の「遠ざかり」のことを振り返っておきたい。
1回目は東日本大震災の時である。震災から1週間後の2011年3月18日に津波で大きな被害の出た宮城県名取市の惨状を見て,「自分が今まで行なってきた研究や教育が,この社会を元に戻していく中でいったい何にどう役に立つのだろうか」と自問自答した。その分野の専門家としてではなく一人の市民として日本語教育に向き合ったと言えるが,その時にはっきりとした答えは見出せなかった。このあたりのことは,『日本語教育 学のデザイン』(神吉宇一編著,凡人社)の中に書いた通りである。
幸い,研究面においては批判的談話研究というものに出会い,ライフワークを見つけることができて救われたのだが,日本語教育については,今もそのときに抱いた問いに対する明確な答えを持てないままでいる。だから私はあまり胸を張って,「日本語教育やってます!」,とはなるべく自分からは言わないことにしている。そもそも言えるだけのことをやっているのか,と「日本語教育」の世界から突っ込まれる気もするが,それは,あとで述べるように,その通りである。「日本語教育」の世界で「日本語教師」の人たちがやっているようなことはたぶんほとんどやっていないし,やろうとも思わないし,これからもやりたくないと思っている。
2回目の「遠ざかり」は,時期で言うと2015年あたりになるかと思う。ドイツ在住の批判的談話研究や子どもの言語教育に関わっている人たちとなんどか一緒に仕事をするようになり,ドイツの「政治教育」(対外的には「民主的シティズンシップ教育」と呼ばれる)というものを知った。ドイツで学校を見学する機会にも恵まれ,大いに共感した。そして,その実践として,言語教育の持つ潜在力が大きく評価されているということも知った。正直に言うと,言語教育と民主的シティズンシップ教育がどのように結びつくのか,なぜ結びつくのかということについては,その時期にはまだよくわかっていなかったところもあるが(実は今もまだ心許ない感じだけど),言葉の教育が市民性教育であるというところに新鮮な驚きと可能性を感じ,「日本語教育」もそういうふうにできないか,自分がやるならそういうことをやりたいと思った。
ここまで読んで疑問に思った人がいるかもしれない。1回目の話はたしかに「日本語教育」から離れていくと言えるが,2回目は「日本語教育」から離れていくのではなく,むしろ逆に「日本語教育」にもっと入り込んでいこうとしているのではないかと。しかしそれは違う。2回目に書いたことは,だからこそ「日本語教育」から離れていくことなのだとここで確認しておきたい。
そして3回目の今である。今の状態をことばで説明すると,「もう『日本語教育』じゃなくていいか(下降イントネーションで)」,という気持ちである。もちろん,私は今も自分の所属先で日本語教育副専攻の授業を何科目か開講し授業をしているし,そのうちのいくつかは留学生向けの授業にもなっていて上級レベルの「会話」や「文法」の授業でもある。しかし「会話表現」も教えなければ「N1レベルの文法」も教えていない。そのことははっきりシラバスに書いてあって,留学生の受講生には必ずシラバスを読んだかどうかを確認し,読んでない人には「読んで自分が本当に勉強したいかどうかよく考えてから受講を決めること」という履修指導をしている。冗談ではなく,本当に会話表現とかN1の文型とか全然教えないのだ。そのようなことは,それを教えるのが「日本語教育」だと思っている「日本語教師」に教えてもらえばよいと思っている。だから,自分では教えないけど,勉強する人のニーズに合わせてそういうことを教える「日本語教育」や「日本語教師」も必要だとは思っている。
「じゃあ,お前は一体何を教えているのか」と問う人が出てこよう。「日本語教育」の授業なのに「日本語」を教えていないのならいったい何を教えているのか,何も教えていないのではないか,それは給料泥棒ではないか,と。おっしゃるとおりだ。だから私は給料泥棒にならないよう自分が教えようと思うことをしっかりと教えているつもりだ。私は,もう「日本語教育」じゃなくていいか,「日本語」ではないものを教えなければだめだ,ということを自分なりの信念として持っていて,「日本語」ではないものを教えている。だから今の私は「日本語教育」からどんどん離れていっているし,もはや自分からは「日本語教師」とは名乗れなくなっているのである。
一言で言えば「生きる力」。もうすこし細かく言うと「批判的思考力」「論理的思考力」「自己表現力」「対話」「多様なものへの寛容さ」「課題解決力」などなど。私はそういうものを日本語教育の中で教えている,というかそういう能力を伸ばす機会を提供しているつもりで授業を行なっている。それこそが自分のやるべき日本語教育だと思っていて,もはやそれは「日本語教育」の範疇からは飛び出してしまっているはずだ。だから私のやっていることは「日本語教育」の世界の「日本語教師」にはなかなか理解されないと思う。その理解してもらえないことこそが「日本語教育」界の視野の狭さや硬直した姿勢を示していて,それは結構本質的で根が深い構造的な問題だと思っている。
もちろんそれらの「生きる力」を日本語で学ぶように授業をデザインしている。しかし日本語を使って授業はしているが,「日本語」の授業や「日本語教育」をやっているつもりはない。なんか禅問答みたいになってきたが,だから今の第3波は,「もう『日本語教育』じゃなくていいか」,という波なのである。
たとえば,今の自分にとって「テ形の教え方」とか「やりもらいの導入の仕方」とか「教科書の使い方」といったことはどうでもいい。「あの教科書のほうがいいか,その教科書のほうがいいか」なんていう「議論」がネット上の日本語教師グループの中であるらしいが,そういうものにも全く興味がないし意味のない不毛な議論だとさえ思う。どんな教科書でも教えることができるのが日本語教師だと悟ったようなことを言いたいわけではない。ああやっぱり「日本語教育」の世界にたくさんいる「日本語教師」による典型的な「日本語教育」的議論だな,と思うだけだ。せっかく議論するなら,もっと違うことを考えたらいいのに。
学生を何もできない子どものようにみなし,お母さんやお父さんみたいに学生のお世話に一生懸命になっている「日本語教師」を見たり聞いたりすると,それでしか自分の承認欲求を満たせない人なんだろうかと思う。で,そういう人が「いい先生」と言われる不思議な「日本語教育」の専門的世界。そんなことは多少の知識や経験と面倒くさがらない気持ちがあれば誰にでもできることなのに。
そして私はもうそういうところからは結構遠いところにいるのだと再認識する。日本語教育の世界に入ったころは私もそういうことを一生懸命学んだし,そういう技術を身につけたかった。そういう教師になろう,そうであろうとした。でも今は違う。少なくともそれは今の自分の目指す日本語教育でも日本語教師でもない。
私は他の人がそういう「日本語教育」や「日本語教師」を目指すことまでは否定しない。しかし,そのような「日本語教育」や「日本語教師」を志向する人たちの存在や実践が,日本語教育・日本語教師の意義や専門性を狭めたり一面的に見せてしまったりして,結果的に外から見た日本語教育・日本語教師の位置付けや評価になんらかの負の影響を与えている可能性は多少なりともあると思う。簡単に言えば「自分で自分の首を絞めている」ということだ。「日本語教師」がそういう「日本語教育」をやっていますとアピールするから,「日本語教育」「日本語教師」は「誰でもできること」「簡単なこと」だと思われて「教育」「教師」扱いされないのではないか。だから社会的地位も給料や待遇も一向に改善しないのではないか。
一般的には,「人としての成長に寄与してこそ教育だ」と言えると思う。子どもの教育だけではなく大人の教育だってそうだと思う。言語教育も教育である以上,同じことが言えるだろう。外国にルーツを持つ人たちに対する日本語教育も教育の一種なのだから,そうあるべきだと思う。「日本語」ができるようになるというのも確かに成長ではあるけど,それは「人としての成長」として局所的である。だからことば「だけ」を教えている「日本語教育」は社会から充分な評価を得られず,「日本語教師」はアイデンティを保持できず,自分のやっていることに意味を見出すために,他の世界の人ならできなくて当たり前のミクロなスキルやテクニックに価値を見出したり,「日本語教育」研究に専門性を見出したりするのではないか。
しかしそれは悪循環の輪を巡り,どんどん閉塞した空間に入り込んでいく落とし穴でもある。仲間同士で「私たちがんばってやってるよね」と褒め合ったり励まし合ったり慰め合ったりしてもその先に未来はない。ますますガラパゴス化,蛸壷化していくだけである。
繰り返しになるが,私は「日本語」を教える「日本語教育」や「日本語教師」を全否定するつもりはない。その道を極めたい人はどんどんやればいいと思う。ただ,それ「だけ」では人間の教育としてあまりにも狭いということには気付いていてほしい。そういう視野を持った「日本語教師」であってほしいし,その気づきを伴って「日本語教育」を実践してほしい。そしてその上で,できることならば,もうすこしそれ「だけ」ではない日本語教育を志向する日本語教師が増えたほうがいいのではないかと思っている。
そんなことを考え,「それだけではないこと」を行ってきたつもりの日本語教師の責任として,機会があればアジテーションを行ってきた。この原稿もそういうつもりで引き受けた。
ただ,最近の「日本語教員の資格化」の議論などを見ていて,日本語教師としての自分,というアイデンティティを持てない人が多いのではないかと思う。だから「今の自分の経験や身分で有資格者になれるかどうか」を心配するのではないか。トガった言い方で言えば,自分のアイデンティティを自分で確立できていないから,自分の「日本語教師」としてのアイデンティティを「資格」という他者評価に求めるのではないか。すばらしいご経歴をお持ちの先生方が「自分のような歳になって実習を受けたりして資格認定を受けるのはなかなか大変である。できれば実習などを免除してほしい」と言っているのを聞くと,ああやっぱり「日本語教育」の世界に生きる「日本語教師」だな,と思う。自分の日本語教育観を持ち,日本語教師としての自分のアイデンティティを確立すれば,国家資格のような「権力の支配や呪縛」から自由になっていろんなことができるのに。
勘のいい人はもう気づいているだろうか。私はここまで「」を付けた「日本語教育」や「日本語教師」という言い方と,「」を付けない日本語教育や日本語教師という言い方とを使い分けて文章を書いてきた。2つの言い方でそれぞれが指し示すものは何だろうか。最初に私は「」付きの「日本語教育」から離れようとしていると書いた。そして今も私は「」なしの日本語教育の世界にいる(つもりである)。この原稿のおかげで(または,せいで)「日本語教育」の世界からは追放されて永久に仇敵扱いされるかもしれない。「」を付けて括ることは比喩的に言えば,狭い世界に自らを閉じ込め自由や可能性を封印することである。そういう世界から異端とみなされて追放されるとしたら,それはそれで願ったり叶ったりである。「日本語教育」,「日本語教師」,さようなら。
「この人,めっちゃ性格悪いな」と思いつつ怒りを抑えて最後まで読んでくれた皆さん,この原稿に心底怒っている皆さん,仲間内で名嶋をディスったり叩いたりするのもいいけど(私は打たれ強いから全然平気だけど,というか,むしろ褒めてもらった気になるので,お礼を言いたくなる),それで少しスカッとして怒りが収まったら,そろそろ「」で括ったものの意味を考え,「」を超えて,「」を壊して,外の世界へ出てみたらどうだろうか。外の世界から「日本語教育」の世界を批判的に見てみたらどうだろうか。きっと新しい発見があると思う。「」の呪縛から自由になって,一人の市民として自立・自律した日本語教師に生まれ変わろう。そして自分にとっての日本語教育を再構築してみたらいいと思う。それはとてもとても大きな日本語教師としての成長につながるだろう。
持たざる者に施し授ける「日本語教育」から,持つ者と共に生きる日本語教育へ。
無批判に再生産する「日本語教師」から,批判的に思考する日本語教師へ。
象牙の塔の住人としての「わたし」から,市民としての「わたし」へ。
いい風が吹いてきた。
さあ,旅立ちのときだ。
帆を張ろう。
一歩踏み出して境界線を超えよう。
「」を捨て,旅に出よう。
良い旅を!(旅先で出会ったら,「ゆんたく」しましょうね〜)
名嶋 義直(琉球大学)