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New Face of Japan

インタビュー記事

ドイツ人でもあり日本人でもある。

それは矛盾しないこと

サンドラさん(Part1/3)

2023年10月号

New Face of Japanは、多様でインクルーシブな日本社会の発展を目指して活動しています。多様なルーツを持つ方々にインタビューを行い、その声をイラストやインタビュー記事を通して発信しています。

Project Director: Richa Ohri (千葉大学)
Project Manager: Ryota Takahashi

記事編集者:Saori, Nanami

今回のインタビュイーであるサンドラ・へフェリンさんは、日本とドイツのミックスで、「ハーフ」に関する問題や多様性について様々な執筆活動をされています。このインタビューでは、ミックスルーツにまつわる経験や、世の中の現状への思いを語っていただきました。

 

インタビュアー:ななみ、かんた  編集:さおり

ななみ:       まず最初に、簡単に自己紹介をお願いします。

 

サンドラさん:    サンドラ・ヘフェリンです。父がドイツ人で母が日本人で、ドイツのミュンヘンで育ち、

23歳で日本に来ました。今年で46歳なので、ドイツと日本でちょうど半分ずつ過ごしたことになります。一般的にドイツと日本のハーフはそこまで多くないので、ちょっと特殊な立場だなというのはドイツと日本どちらにいても自覚していました。それによって良いこともあるし、ちょっと立場的に大変だなと思うこともありますね。

多様性については私もすごく大事だと思っていて、朝日新聞GLOBE+でも、国籍に関してマナベさん(2021年ノーベル物理学賞受賞)につなげて記事を書いたところです。
そのような国籍や多様性の話が好きなので、今日は楽しみにしています。

*インタビュー実施: 2021年10月

ななみ:       ご自身のアイデンティティについてお話しいただけますか?

 

サンドラさん:    私は今40代半ばですが、10代・20代・30代はアイデンティティに悩むことが結構多かっ

たです。自分は「ドイツ人でもあり日本人だ」と思っていても、ハーフではない日本人からは「あなたは外国人でしょ」と言われたりします。一方ドイツでも、パッと見た限りでは日本の血が入っているとはわかりませんが、性格やライフスタイルが一般のドイツ人と違う部分があるので、そこで「やっぱりあなたは結構日本っぽいよね」と言われます。つまり、どちらの国にいても「典型的なその国の人」として扱ってもらえないことを悩んでいたんですね。最近は、年齢もあると思いますが開き直っています(笑)。

昔も今もよく聞かれるのは、「お父さんがドイツ人でお母さんが日本人だけど、ご自分の気持ちとしては(自分自身は)ドイツ人か、それとも日本人ですか」という質問です。これに対していつも私は「両方です。ドイツ人でもあるし日本人でもある」と言っています。ところが、この答え方は評判が非常に良くなくて、双方から反論されます。日本人の場合は「いやいやどっちもって言うけど、どっちかでしょ普通」とか。ドイツ人だと「ドイツと日本は文化や文字が全く違うし、考え方やファッションも違う。そんな180°全然違う国を両方っていうのは矛盾があるんじゃないの」とよく言われます。

 

若い頃はそう言われると「やっぱり自分が変なのかな」「私はどっちでもない、ハーフ独特なのかな」と思っていました。ですが今は、私が「両方」と言ったら「両方」なので、相手が矛盾すると感じてもそれはあなたの問題ですよと思っています。ちゃんとアクセプトしてくださいと。変な遠慮がなくなりましたね(笑)。言語的にもドイツ語も日本語も同じレベルでできるし、文化的にも、血筋的にも、どこをとっても(私が)ドイツ人であり日本人であることは全く矛盾しないことなんです。

かんた:       イメージとしては、半分ドイツ・半分日本というより、二つが合わさっているという。

 

サンドラさん:    そうですね。合わさっているから「どっちでもない」ではなく、堂々と「どっちも両方で

す」と考えています。

▶ドイツと日本の「二足のわらじ」をはいてもいい

ななみ:       (ドイツ人と日本人の)両方だと言えるようになるまで、アイデンティティについて困っ

たことはありますか。​

 

サンドラさん:    「こういうところが外人っぽいよね」というのはドイツ人にも日本人にも言われてきて、

それはそれで共感したり頭にきたり色々ありましたが、結局は本人の意識とか気持ち次第だと思います

日本の表現で、「根無し草」、「二足のわらじ」や「二兎を追う者は…」という言い回しが嫌いなんですよね。というのも、私のように間に立った人が二兎を追ってドイツ語も日本語もやっていることについて、両方やるのは中途半端だと否定されても、私は構いませんよって思っています。一個だけやっていればいいという考えもあるけど、これだけグローバルな今の時代において、多文化や多言語の教育を同時進行で学ぶのは時代に合わないことではありません。それを、日本語ができなくなるとか、日本人としてどうかと思う(という思い込み)、とすぐに結びつけるのはちょっと昔ながらの昭和の考えだなと思います。本当に言語が中途半端になる場合もありますが、それはまた別の真剣に考えなければいけない問題です。

二足のわらじ云々というのは、ちょっと、外国語ができない人のひがみじゃないかと思ってます(笑)。頑固な年配の方に多いんですが、小さい子に言葉を二つ習わせたら日本語がちゃんとできなくなると言うんです。そういう人に限って日本語しかできないので、やっぱりなと。聞き流すようになりました。

▶ドイツのパンの話は読みたいけど、国籍の話はいらない

かんた:       自分自身を受け入れられるようになったり、自分から言えるようになったりしたとのこと

ですが、何か大きな契機はありましたか。

 

サンドラさん:    大きな契機は特にありませんが、自分のしていた活動の影響は大きいですね。『ハーフを

考えよう!』というウェブサイトを約10年前に立ち上げて、ハーフとしての色々な経験をブログに書いています。すると、そのブログに対して、Twitter、mixi、Facebook等で様々な反応があって、共感してくれる人ももちろん多いけど、反論もたくさん来ます
 
なかにはすごく複雑な気持ちにさせられる反論もあります。ドイツ大使館のサイト『Young Germany』のコーナーでも記事を書いているんですが、テーマは日本とドイツの食べ物、パン、レストランなどちょっと軽めです。そこで、東京にある美味しいドイツのパン屋さんなどの記事を読んで、SNSで「私もドイツのパンが大好きです。繋がってください」とメッセージをくれる人がいるんです。でも、私が発信しているのはパンの話だけではなく、複数国籍に賛成だとか、ハーフとして私はドイツ人だし日本人である、と書いたりもしています。すると、パンが好きで友達になりたいと来た人が、それに対して反論してくるんです。「ハーフの人が複数国籍なのはおかしい」「そういうのを良いって言うのはおかしい」と

 

昔からこういうことはあって、「どうしよう、グループ分けをするか、この人にはこの情報が行かないようにするとか、発信しない話題を決めるか」と考えていたんですが、今は、「それは私の問題じゃなくてあなたの問題じゃん」って思います。パン以外の情報が気に入らないならスルーしてくれればいいのに、いちいち反応されても。私を含め、ハーフの人、日本で生活している外国にルーツのある人の気持ちを全くわかってないわけですよね。

 

そこですごく思うのが、「異文化交流」や「外国人との交流」って、インドカレーを食べよう、ドイツのパンを食べようで終わりじゃないんですよ。こういう話は多くの人が大好きだけど、ちょっと込み入った話になると拒否反応を示してしまう。私としては、発信しがいはある一方で、「自分の立場は曲げたく無い」というのはありますね。長年そうしてきて今にたどり着いた、というところです。

▶「ミュンヘンから来た日本の転校生」

ななみ:       サンドラさんご自身の背景が理由で、周りから違う扱いを受けたことはありましたか。

 

サンドラさん:    ありますね。ぱっと見ると一つ一つは些細なことなんですが。

ドイツの学校に通っていた10〜11歳頃に、ミュンヘンの中で街の中心部から郊外の学校へ転校しました。私としては単に転校をしただけ(の感覚)でしたが、転校先の担任の先生は、母親が日本人だと知っているわけです。友達もできかけていた時、自分が好きなアニメやキャラクターを紹介するプレゼンのような授業がありました。他の子達はみんなドイツやアメリカのアニメをやっていましたが、先生が私に「あなたはせっかく日本出身だから、日本のアニメを紹介したらどう?」と言ったんです。確かに私はドラえもんが好きだったので紹介したら、それなりにみんな興味を持ってくれたんですが…その日を境に「日本からの転校生」みたいな扱いになっちゃって。すごく複雑な気持ちになりました。自分から「私はドラえもんの話がしたい」と言うならまだしも、今思うと先生も余計なこと言ってくれたなと。ドラえもんにしたことで、ミュンヘン市内でしか転校してないのに、「日本から転校してきた子」の扱いになっちゃうんです
 
大人になってからだと、東京にある外資系の会社で面接を受けた時のことです。日本人も外国人も両方採用していて、私は履歴書に「母国語は日本語で、ドイツで育った」と書きましたが、いざ行ってみたら外国人枠に入っていて、日本語能力試験を受けることになっていました。それがすごく簡単な、「AさんがBさんに電話しました、さて誰に電話したんでしょう」って小学生レベルで、すごい馬鹿にされてる感じで。絶対顔を見て判断したんだなって思いました。そういう試験が悪いとは言わないけれど、履歴書をちゃんと読んで欲しかったですね。読んでいれば、そんな試験を受けさせるわけがない。

 

あとは、A信用金庫で普通口座を作ろうとした時のことです。当時は正社員で、書類も記入漏れなく日本のパスポートも全部揃えて行ったのに、受付の人に「あなたの近くだったらB信用金庫があるんじゃないの?」と言われ、なんとライバル店である全く違う金融機関を勧められたんです。要は、A信用金庫で作ってほしくないと。「でも貯金用に作りたいんです、口座がないし、最寄りの銀行なので」と言うと、「あぁ…でも最近は口座を作って売り飛ばしちゃう悪い人がいるんですよ」と。これはひどい人だなと、非常に不愉快な思いをしました。そこでは怒らずにどうしても作りたいと粘って、結果的には作らせてもらえましたが。後日、A信用金庫の本社にこう手紙を書きました。「最近は口座を売り飛ばす人が多いとかで、ライバル店のBを勧められたが、お客様全員に対してされていることですか、それとも私に対してだけでしょうか」と。すると、お詫びに伺いますと電話がありましたね。今後普通に対応してもらえたらそれでいいと断りましたが、外出先から帰宅したら玄関にA信用金庫のお詫びのティッシュがいっぱい入ってました(笑)。信用金庫の担当者がパッと顔だけ見て見た目が外国人だからということで警戒して…これはすごく悔しいですね。真面目に生きてるのにどういうこと?っていう怒りもありました。

 

見た目で入っちゃうのはしょうがないんだけど、ちょっと複雑な気持ちになる。あの人は親が外国人とか見た目が外国人という情報もいいけど、あんまりそこだけにフィックスするのは良くないと、自分の経験から思いますね。

ななみ:       履歴書や書類もきちんと全部書いてあるのに…

 

サンドラさん:    そうですね。ちゃんと読んで欲しいですね。読めばすぐ分かることなのに。

▶質問してるのは私なのに、店員が答えるのは夫のほう

サンドラさん:    これは外国人だけじゃなくてジェンダーも関係してくると思うんですけど、数年前に家電

量販店へ電化製品を買いに、旦那と二人で行った時のことです。店員さんに色々質問してるのは私なのに、非常に腹立たしいことに、店員さんが必ず旦那に答えるんですよ。旦那もロシアと日本のハーフなんですが、見た目はとても日本人っぽくて「ちょっと色が白い日本人」ぐらいにしか見えなくて、外国の要素がとても少ない。つまり旦那は日本人っぽくて、男。私は女で外国人だから、どうせ話してもわかんないだろう的な感じにされて、それは悔しいですね。店員さんといっても全員ではなく一部の人なんですが。そういう人に当たると、「もうこの人のとこでは買わない!」って旦那にキレて、他のちゃんと答えてくれる店員のところで買ったりしますね。

 

「外国人顔+女」というのは多分ダブルパンチで、特に男性の店員さんだと旦那に話しがちで、許しがたいですね。

かんた:       僕も最近似たようなことを目の前で見ました。渋谷区の(新型コロナ)ワクチン接種の受

付のバイトをしているんですが、渋谷区にも外国人の方がたくさん住んでいます。サンドラさんのお話のように、日本で長く暮らしているのに見た目のせいで…という人もいました。そういうカップルが来られて、二人とも流暢に喋れるのに、(受付の人は)男の人の方に喋っていました。

 

サンドラさん:    あるあるですよね。

インタビューPart1を終えて

(インタビュアー ななみ)

特に印象に残っているのは、ミックスルーツの方に対して、外国の表面的な文化の話は聞きたいけど、国籍などの問題については聞きたくない、という人たちがいるという点です。外国の文化を知っている=外国の人々や外国にルーツを持つ人々を差別していない、ではないことを理解する必要があると思いました。これは「I'm not racist, I have black friends」につながっている部分でもあるかなと感じます。

▶「ドイツ人でもあり日本人でもある」じゃダメ?

▶「ドイツ人でもあり日本人でもある」じゃダメ?
▶ドイツと日本の「二足のわらじ」をはいてもいい
▶ドイツのパンの話は読みたいけど、国籍の話はいらない
▶「ミュンヘンから来た日本の転校生」
▶質問してるのは私なのに、店員が答えるのは夫のほう

(Part2へ続く)

インタビューPart1を終えて
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