New Face of Japanは、多様でインクルーシブな日本社会の発展を目指して活動しています。多様なルーツを持つ方々にインタビューを行い、その声をイラストやインタビュー記事を通して発信しています。
Project Director: Richa Ohri (千葉大学)
Project Manager: Ryota Takahashi
記事編集者:Saori, Nanami
今回のインタビュイーであるサンドラ・へフェリンさんは、日本とドイツのミックスで、「ハーフ」に関する問題や多様性について様々な執筆活動をされています。このインタビューでは、ミックスルーツにまつわる経験や、世の中の現状への思いを語っていただきました。
インタビュアー:ななみ、かんた 編集:さおり
ななみ: 「自分ってミックスルーツだなあ」と感じる瞬間はありますか?
サンドラさん: 良い意味でも悪い意味でも、結構ありますね。いろんなことにちょっと敏感になっている
ところがあります。
例えば、スーパーでヨーグルトを見ていたら、『日本人の胃腸にやさしい〇〇ヨーグルト』みたいなことが書いてあったんですよ。
「ん!?日本人!?」って思って。
CMとか日常の会話でも結構出てくるんですよね。「日本人はこうだから…」とか「日本人の髪に優しいシャンプー」とかね。そういうのを見ると私の中では「?」で。私もそれに含まれるのか、それとも違うのか…良い気分にはあんまりならない。もし他に選べるなら、もっとニュートラルなヨーグルトを食べようかな、って思います。そういうことに敏感なのは、自分が外国にルーツを持っているハーフだからなのかなって。もしそうじゃなければ、あんまり意識しないでスルーしちゃうと思います。
ななみ: なるほど。
サンドラさん: それと同時に、「海外」「外国」っていう言葉にも敏感になってると思います。日本では
よくテレビや記事で、「海外では〜」という言い方をしますが、私からすると、「日本以外は全部海外」なので、「海外」という言葉はザックリとし過ぎているんです。「海外」がマケドニアを指すのか、カナダを指すのか、フランスを指すのか分からないので、いつも「こんなにおおざっぱでいいの?」と思ってしまいます。
実際には日本で「海外では」という言葉が使われる時、それは「欧米」つまりはヨーロッパやアメリカを指すことが多いですが、だったら、名指しで「ヨーロッパ」などと書いたほうが良いのではないかと思います。ただ、ヨーロッパにも色々な国があるので、やっぱり一番正確なのは、「国の名前をちゃんと書くこと」だと思います。
そういうこともあり、私はあまり気軽に「海外では〜」という言い方はしません。これも自分が「ハーフ」だから、こういうことに敏感なのかな、と思います。
▶称賛される「日本人らしさ」
サンドラさん: だから、何をもって人のことを日本人/外国人と呼ぶのかその定義にすごく敏感になって
います。
マナベさんに関連して国籍の記事(※Part1冒頭で紹介)で書いたように、マナベさんは今はアメリカの国籍しかありません。ですが、見た目も日本人だし、日本で生まれ育ったわけだから、「日本人」ということで「誇らしい」と日本の政治家などは言うんですが…。法律の面でいえば、日本国籍しかない大坂なおみさんの方がより「日本人」なわけです。でもそれはなかなか理解してもらえないことなんです。
一般の人のちょっと古い?感覚だと、生まれも育ちも日本で・両親が日本人で・日本語が流ちょうに話せたら日本人としてカウントする。でもそうではない場合、つまり大坂なおみさんや私みたいに片方の親が外国人だけど自分は日本国籍という人は、法律の上では日本人なのに、「外国人枠」に入れられているところがあります。非常に腹立たしいし、悔しいですね。ちゃんと書類を見ることを大事にしなければいけないと思います。国籍は証明できるのだから、そういうのを軽視するのはどうなのかな。
二足のわらじ云々というのは、ちょっと、外国語ができない人のひがみじゃないかと思ってます(笑)。頑固な年配の方に多いんですが、小さい子に言葉を二つ習わせたら日本語がちゃんとできなくなると言うんです。そういう人に限って日本語しかできないので、やっぱりなと。聞き流すようになりました。
かんた: 政府もそうですし、メディアや世間も都合よく解釈しすぎでしょうか。ハーフの人が持つ
「日本人としての要素」だけを見つけて支持することは多いのかなと思います。
サンドラさん: 日本人らしいところが称賛されるってことですよね。それはあると思います。
かんた: 例えば大坂なおみさんが、日本っぽいことをしたときにすごく盛り上がるとか。
サンドラさん: そうですね、おにぎりや和菓子が好きって言った時はすごく盛り上がりましたね。逆に、
テニスで負けちゃって感情的になってラケットを投げた時には、「ああやっぱり日本人じゃない!」と言われちゃったりする。「こういう行動をするからあなたは日本人だ/日本人じゃない」とジャッジされるんです。それはハーフの運命のようなところがあるかもしれません。だからといって諦めるわけではないんですが。
▶「どちらにいったらわからない」という人たちへ
ななみ: ここまでミックスルーツであることによる悔しい経験をお聞きしましたが、反対に、良か
ったことはありますか?
サンドラさん: 私の場合は、両方の国の現場を知れたことです。ドイツの学校にも日本の学校にも短期間
ですが通えて、両方の国で生活して自分の目で見ることができた。友達も両方の国にいるので、人間関係の面でも両方を知ることができたのはとても良かったです。
それから、これは読む人によってはわがままとか調子がいいと思われちゃいそうですが、心理的に逃げ場があるのは大きいです。私は自分を日本人でありドイツ人でもあると思っていますが、それはつまり逃げ場があるってことなんですよ。何か切羽詰まったら「じゃあこっちに行けばいいか」と。実際には行かないと思うけど、それがあるっていうのは大きい。それを裏切りだとか言われても…べつに戦争しているわけじゃないし。趣味だってそうじゃないですか、いろんな趣味を持っていても「こっちの趣味を裏切ってる!」という人はいないわけです。
みんなは「母国は一つ」と思っているから、私みたいなことを言うと、一つに決めろとか言われるんですけど…。二つあることは、私にとって良い意味で逃げになっていると思いますね。
ななみ: なるほど。
サンドラさん: だからあんまり思いつめない。日本のブラック企業では20年前に1年だけ働いたきりです
が、仮に今ブラック企業で働いていたとしても自殺しない自信はあります。「そこ(会社)しかない」とは絶対思わないし、逃げる準備ができるからです。
ななみ: サンドラさんは「日本人でもあり、ドイツ人でもある」とご自身を認識していますよね。
私が今までインタビューをしていた中で、「どちらでもない、どっちに行ったらいいかわからない」という方もいらっしゃいました。
サンドラさん: それは若い方ですか?
ななみ: そうですね、若い方が多いと思います。迷っている状態から「両方だ」と思えるようにな
るまで、どのように考え方が変わったんですか?
サンドラさん: 私も若い時はそうでした。でも、自分の活動(『ハーフを考えよう!』)をしていると、
応援してくれる人もいれば、批判してくる人も結局いつもいるんです。だから、皆に合わせて自分のアイデンティティを作っていくよりも、自分の気持ちに正直にいた方がいいかな、と思うようになりました。
ななみ: そのお言葉を聞いて、励みになる人がきっといると思います!
サンドラさん: そうだといいですね。
▶ドイツでの東洋に対する見方
かんた: ここまでは日本社会での経験をお聞きしましたが、ドイツではハーフの方の扱いはどんな
感じですか?
サンドラさん: ドイツは日本と違って、ちょっとでも外国の血が入っていたらドイツ人とはみなさない、
という窮屈なことはありません。自分はドイツ人だと言っていてもおばあちゃんはイタリア人でおじいちゃんはポーランド人、みたいな人がたくさんいるんです。同じヨーロッパ人なら見た目はそんなに違わないし、文化や言葉の違いに関してもたかが知れてる。一方で、日本(とのハーフ)となると、地理的にも遠いし、数も少ないから特殊です。いい意味でも悪い意味でも目立つ。
だから私も10代20代の頃はそういうことにすごく敏感になっていました。私の場合はドイツにいても見た目で日本の血が入っていることはわからないので、あえて自分からは言っていなかったんですが、ちょっと親しくなって母親が日本人だということを言うと、自分にとってはあんまり面白くない展開になることが多かったです。お寺の話や当時流行っていた「たまごっち」の話をされましたが、私は持っていなかったし興味もありませんでした。本当はその相手とはもっと違う話ができたのに、「日本」と言っちゃったばかりに、またたまごっちの話になっちゃった…と。ステレオタイプですよね。面倒だなとは思ってました。
ななみ: なるほど…
サンドラさん: でもそれは全然深刻ではない方です。
ドイツの中では東洋人差別があって、中国日本韓国を一緒くたにして、低く見ている人もいます。ドイツにいた時はそういう見下したような発言を聞いて傷ついたりはしました。17〜18歳の時、学校の一部の同級生は私の母が日本人だと知らなくて、同級生の女の子が「日本人ってみんなカメラを首から下げて市庁舎をパシャパシャ撮って、おかしいよね〜」と私に同意を求めてきたことがありました。当時はバブルの終わりくらいで、ミュンヘンは日本人の観光客が多かったんです。私としては笑えないし、ちょっと馬鹿にした感じで言われたので嫌でした。
それから、ドイツ人の英語の先生のことですね。ある遠足の日に、同級生が気を遣って、その英語の先生に「サンドラさんは日本語ができるんですよ」と言ってくれたんです。すると先生は「え!?なんでまた日本語なんかできるの?」みたいなことを言って、私はそれがすごく頭にきました。「この人からは英語を習いたくない、別のクラスに移動したい」と言って、クラスを変えてもらったほどです。まあ、10代の頃はむかつくとすぐ行動するタイプだったので。要は、アジアを低く見ているからそういう風に言うんですよね。先生だったら普通、「日本語ができるんだよ」に対して「すごい!」と言ってくれてもいいのに、「なんでまた日本語なんか」ってとても嫌な感じでした。
このように、アジアを…中国日本韓国をすごーく低く見ていて嫌な感じの人に、いろんな場面で出会ってしまうというのはありましたね。これは逆に、日本では感じないです。「えー、なんでドイツ語なんかできるんですか?」って聞かれたことは一度もないですね。
▶悩みを誰かに相談していたか
ななみ: すぐ行動できるお子さんだったんですね。嫌なことがあっても相談できるコミュニティが
なく、自分で抱え込んでしまうというケースをこれまでのインタビューで聞いてきたのですが、サンドラさんには相談相手やコミュニティ等があったんですか?
サンドラさん: 相談できるコミュニティは私もあまりなく、そもそも、同じ立場のハーフの人たちとつな
がったのも日本に来てからでした。「日本に住んでみたい」という子どもの頃からの夢がやっと叶ったので、来日して最初の1〜2年は、ドイツ人のコミュニティでドイツ人と働いたり遊んだりするのではなく、日本人として日本人とだけ関わっていきたいという意気込みを持っていました。
ところが、なかなか上手くいかなかったんです。私は日本語の戸籍通りの名前があって、独身の頃は「わたなべ さとみ」でした。日本に来たばかりの時は「わたなべ さとみです」と自己紹介していたんだけど、そこで普通に「ああ、そうですか」ってなることはほとんどないんです。大体聞かれたのは「ご主人が日本人の方ですか?」とか、「日本に帰化された方ですか?」とかで、そこで初めて「私って日本人として全く通用しないんだ」と気がつきました。そこから方向転換をして、例えば本を書くときはドイツの名前で出したりします。その方が受けが良いとわかったのでそうしていますが、本当は日本語の名前を使いたかったというのはあります。
来日して1〜2年の頃は、そういうのは私だけかなと思ってたんですけど、その数年後(2005年頃)に弟の紹介で『ハーフの会』というのに行ったら、いろんな国のハーフの方がいて、みんな似たり寄ったりな経験をしていました。例えば、黒人の顔で「やまだ たける」みたいな名前だと、どこに行っても「それ本名じゃないでしょ」って言われるという。その時に、私だけじゃないんだなとちょっと安心しましたが、安心と同時にもやもやした気分も残っていたから、それを何らかの形で発信できればいいなと思いました。それが、『ハーフを考えよう!』を作るきっかけになったり、『ハーフが美人なんて妄想ですから!!』という本を書いたりという流れになったと思います。
子供の頃はインターネットがなかったし、ミュンヘンでハーフの友達はあまりいなかったから、同じ仲間を見つけて相談できるようになったのは30代になってからです。それまでは自分で模索して勝手にやって、上手くいかなくて…というのがありました。
インタビューPart2を終えて
(インタビュアー ななみ)
外国にルーツを持つ人たちが、「日本人っぽい」行動をとると称賛され、逆に「らしくない」行動を取るとホラやっぱり外国人だ!と叩かれてしまう、というところは納得ができました。また、マナベさんなど、本人は外国籍を取得しているのに、それでも日本人であるかのような扱いをするメディアがあったりもします。このことからも、自分たちの内側にいる人を優遇し讃える風潮が根付いてしまっていることが伺えます。
▶日本人の胃腸にやさしいヨーグルト
(Part3へ続く)