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教師物語

流しの日本語教師
西隈俊哉 

日本語教師を初めて四半世紀。 
今までの自分の日本語教師としての生き方を一言で言うならば、「流し」です。 

ギター1本、いや、今どきならノート PC1台でしょうか、
それを片手にあちこちの日本語教育機関で日本語教育に携わってきました。 

はじめは日本語学校で日本語教師をしようと思ったのですが、
当時は阪神淡路大震災やオウムのサリン事件の影響もあり、留学生が減っていた時期でした。
それで、国内で教えることは諦めて海外で働くことにしました。
たまたま縁があって韓国で働くことができました。

3年ほどして帰国したのですが、取りあえずは仕事しなくちゃと思い、
大学や養成講座などで非常勤として日本語を教え始めました。
その生活を続けていくうちにこの生活もいいなと思うようになってきました。
雑誌の連載の話、書籍や講演などの仕事もいただく機会も得て、
そういったお仕事もしつつ、留学生に日本語を教えたり、
日本語教師になりたい人に日本語教師になるために必要なことを教えたりして
過ごすようになりました。

そして「気づいたら今になっていた」という感じです。

大学で学部留学生を、日本語学校で留学生、技能実習生を教えました。
介護施設に出向いて、EPAで来日した介護福祉士候補生にも教えました。 

募集に応じて働かせていただいたところもありますし、
自らお願いして働かせていただいたところもありますし、
はたまた学校側から依頼を受けてのものもあります。 

同時にいろいろな学校のお仕事を引き受けることによって、スケジュールの管理が大変です。
休みが一定しないのも大変なことです。 
また、学校では気分的には常にアウェイな感じがして、
他の先生と知り合いになることがないので寂しい面もありますが、
学校ごとにカラーが異なるのを自分の目で確かめることができるのは
興味深いものがあります。 

着任したのが学期の途中ということもあります。

また前任者が途中まで教えていて、それを引き継いだこともあります。 

そういった環境の中でずっと過ごしてきて、1つ自分の中で決めたことがあります。

それは「自己主張はしない」ということです。 

もちろん、これは個性を消すとか言いなりになるということではありません。 

 

ただ、学校にはカラーがあります。

授業に対するポリシーや進め方、学生の指導の仕方等は千差万別です。 
だから初めの方で言わないようにしているのが

「そんなことはよその学校ではやらない」ということです。 
まずは、その学校のやり方を学び、

疑問があってもまずは1週間、2週間程度はやってみます。 
それから気になった点を伝えようかなと思っています。 
改善点とか
「よそはこうしてるのに、この学校ではなぜそれを?」みたいなことを言うのは、
だいぶ時間がたって、思ったことを言ってもいいような雰囲気になってからにしています。 

というのも、学校では主任をはじめ、

常勤の先生方が考えに考えて決めたスケジュールや進め方があります。 
それを途中からやってきた人が急に「そんなことなぜするのか」とか

「それはおかしい」と か言い出したら、

主任・常勤の先生がやりにくいんじゃないかと思うんです。

たいてい見直すのは学期が終わってからだと思うので、

それまでは様子を見て、問題点を整理しておくのがいいと思います。 

また、「教師力」をつけるいい場だと思うんです。

私は新しい職場で働くことになって、その学校の進め方等を知ったとき

「え~?! こんなふうにやるの?!」と思うことはありません。 
(いや、内心思うことはあっても口に出しません(笑)) 

「へぇ~! こういうやり方なんだ。よし、できるようになろう。やってみよう」

という気持ちになります。 
そのときにわからないこと、自分一人では無理そうなことは、

主任や専任の先生に質問という形で聞くようにしています。 
厳しい環境であってもそこで最大のパフォーマンスを発揮できるように、

あれこれ知恵を絞って授業に臨む。 
その気持ちが大事だと思います。

そうすることで、教え方、授業の進め方の引き出しが増えます。 
それらを増やすことで、自分が教師として一回り大きくなれた気にもなります。

(でも誰にも自慢できませんが(笑)) 

こういう気持ちになるには、理由があります。

本来、私たち教員というのは

「日本語学習者のために何をお手伝いしてあげないといけないか」

という気持ちが大事なんだと思います。 
プライベートレッスンやオンライン授業で、自分が主体的に授業を進める場であれば、

自分で自由にその「お手伝い」の内容を考えてもよいですが、

組織に所属して教える以上、その組織が「お手伝い」の内容を考えています。 
「お手伝い」の内容をまずは理解して、そのうえで授業を行い、中間試験後や学期末など、

区切りのいいところで問題点を指摘する、というのがいいのではないかと思います。 

「置かれた場所で咲きなさい」

という言葉がありますが、まずは置かれたら根を張るまでは周りの様子を見て学びましょう。

その後、花を咲かせましょう。 

でも、咲かせ方(咲き方?)までだれも言及していません。 
そっと一輪の花を咲かせてもよいですし、

大きなヒマワリの花のように目立つように咲いてもかまいません。

いっぺんに色んな花を咲かせてもよいでしょう。 

ということで。 
流しの日本語教師として生きてきた私は、こう思います

「置かれた場所でそっと咲いてもいいし、大きく咲いてもいいし、

はたまた狂い咲きしたっていいし、暴れ咲きしたっていい」

みなさんは、どんな花を咲かせますか?

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